おはようございます。
自由案内人のKOICHIです。
「信濃には、かんなづきがない。」
諏訪の龍神様の絵本は、
そんな一文から始まっていた。
昔々、十月になると、
日本中の神様が出雲の国に集まり、
国づくりの話し合いをしていたという。
今でも十月のことを、
神様がいなくなる地方では神無月、
出雲では神在月と呼ぶ。
その絵本の中では、
ある年の十月、八百万の神様が
出雲の神殿に集まっていた。
松明の明かりが揺れ、
さまざまな姿の神々の影が、
にぎやかに語り合っている。
そこへ現れたのが、
諏訪の神様だった。
巨大な龍の姿で。
あまりにも大きく、
体は諏訪湖のほとりの松にまで
つながっているほどだったという。
それを見た出雲の神様は、
こう語りかけたと、絵本にはある。
――そのようなお姿では、
ここまで来るのも大変であろう。
無理に来られずともよい。
決まったことは、こちらから伝えよう。
その言葉を受け、
諏訪の龍神様は、
再び諏訪へと帰っていった。
そして信濃では、
龍神がいる土地として、
十月を神あり月と呼ぶのだと。
それが史実かどうかは、
正直、わからない。
でも、この物語を読んだとき、
なぜか腑に落ちるものがあった。
以前、諏訪を訪れたときに感じた、
あの感覚と、静かにつながったからだ。
迎えられた、というより、
拒まれていなかった。
説明しなくても、
証明しなくても、
そこに居ていいような感覚。
神様とか、龍神様とか、
そういう言葉の前に、
土地そのものが
「在る」ように感じられた。
中心にあるのは
諏訪湖であり、
祈りであり、
長い時間の積み重なりなのだと思う。
この絵本に書かれていることが
本当かどうかはわからない。
でも、
今も自分の中に残っている
ありがたさだけは、確かにある。
それで、十分だと思っている。
本日も素敵な一日をお過ごしください✨
